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2日朝は5時過ぎに起床。窓を開けていたから野鳥の声で目覚めた。外はもう明るかったが、と言っても全天曇り。空気中の水分が飽和状態という感じで、しっとりとして涼しい。夕刻よりもまだいい光の状態で写真が取れるので、カメラを持ってロッジの近くの林の中と村の道をたっぷり1時間半ほど散策した。
![]() ロッジと林の間には農業体験学習者向けの伝統的な木造平屋家屋が数棟並び、泊りがけで村の畑で仕事をすることができるようになっているらしい。前に止まった時にはなかったと思う。松の林の縁には池がありビオトープ的な作りになっている。水中にはカエルの卵があった。元々は溜め池だったのだろうか。これも前に訪れた時には気づかなかった。宿主に訊くのを忘れた。隣は林縁に生えるミツバツツジ。シャクナゲなども見られた。 林縁の砂利道からは中央構造線をを削って形成されている谷の西側斜面を形成する尾根が見える。その向こうが天竜川が流れ飯田線がそれに沿って走る谷だ。 さらに砂利道を進むと林内へと導く小径があったので入って見ることにした。入口付近の大松の元に桶を加工した養蜂箱があった。早朝だったからか中が空だったからか、羽音もなかった。林内は静かではあったが、生き物の気配はなく、降り積もった松葉と土を覆った苔の弾力がふわふわとして生き物の上を歩いているような感触がした。![]() 林から出てロッジ前の元分校校庭に出ると、今度はつづら折れの道路を下る。昨日の暮れ時では感じられなかった花の色の鮮やかさに驚かされる。![]() ![]() ![]() ![]() 焼き焦がした材で建てられた納屋。今まで歩いてきた方を見上げたら、道路下に養蜂箱を並べた小屋があった。また、神社があったことも今回初めて気づいた。![]() 集落のある高台の下は深い谷で村の所々から白い急流が見える。その向こうの斜面も私の立つ斜面に負けず劣らずの急勾配だが、家と畑が見え、その裏山は樹木を皆伐した後の裸地が広がっている。「おじいさんは山へ柴刈りに」というのはこうした深山でのことなのだろうと思う。斜面には刈り残した枝が土抑えとして沿わせてあるようだ。榾にしたのか炭を焼いたのか。これも戻ってから宿の人に聞いてみるべきだったが、気がかりな天気の話に終始してしまった。 宿にはもう一人自転車乗りがいたのだが、到着時刻がずれていたことで昨晩は話をしなかったのだが、朝食後に少し言葉を交わすことができた。折り畳み小径車で茅野から旅してきた人は二泊で下栗まできたそうだ。南に向かってきた彼は雨がひどくなる前に下山し飯田線に乗るという話だ。海沿いから天気が悪くなっていて、実際太平洋岸は雨が降っていた。私は小雨がぱらつく中、天気がましな北方に予定通り向かうことにした。下栗の里を鳥瞰できるポイントまで山道があるのだが、舗装道を離れて歩かねばならないので今にも雨が降り出しそうな今回は諦めた。 ![]() 食後すぐにいきなり急坂を数キロ登る。登坂で瞬く間に上昇した体温を冷ますには小雨は最適で、体温で蒸発し身体が濡れるということがない程度であった。ただし風が強くなってきており、炭焼山への急登を終えて尾根筋に出ると南からの風の音が唸った。ただ、西の尾根に沿っているしらびそエコーラインを舐めるように風が直接吹き抜けるということがなく、何の負担にもならなかったのが幸いだった。![]() ![]() 世界的に初めて承認されている日本のクレーターの痕跡が見られる。 雲が濃くて眺めは悪かったが、心配された雨もしらびそハイランドでは降っておらず、ここで少し休憩することに。![]() ![]() ![]() 涼しいのでアイスクリームは避け、鹿肉カレーを選択。私一人のカフェで窓外の雲行きを気にしながら食す。思っていた以上に美味かった。 ハイランドの1908mからは蛇洞沢林道との出合いまで急な下りだ。風除けを着てビデオの撮影を準備して下降開始。沢を渡る地点で治山工事をしていた。絶壁の廊下の奥の方に砂防ダムが見えた。 蛇洞沢林道を地蔵峠方面に登り返す。![]() 中央構造線の安康露頭。まだ日本が大陸から離れていなかった頃、プレートの動きによって大陸に押し付けられ低温高圧力によって生成した地質と大陸の火山活動等高熱低圧力によって生成した地質の境目。断層でもあり、激しい摩擦により岩盤が破砕され変質している箇所が黒い線になって見えている。前回はここに気づかずに通過してしまった。写真のような案内板がなかったのかもしれない。![]() ![]() 青木川沿いの景色。![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
前夜30日の移動は大船までの自走と、掛川まで電車輪行。本当は国府津あたりまで自走したかったのだが荷造りに時間が掛かった。
2003年8月、赤石構造線〜中央構造線〜糸魚川静岡構造線を経て太平洋側(横浜)から日本海(富山)に抜けるのには重いCrMo自転車にトークリップ+ハイキングシューズだった。ハンドルバーバッグとトランクラックにも荷物を載せ、ヒップバッグを着けていた。輪行バッグも大きな物だった。しかも真夏。しかし、自宅から目的地まで輪行なしだった。 今回は装備に恵まれているし気温の面で楽なはずだが、バッテリーライトなど重いもんをたくさん装着しているからアルミ合金の自転車でも相変わらず重い。旅道具一式を担いで階段を上り下りするのはやはり疲れる。すべて各駅停車を乗り継いでゆくつもりだったが、静岡での待ち時間が40分近くあり、宿への到着が0時を過ぎてしまうので新幹線に乗り換えて予定の到着時刻よりも30分早く着いた。しかし到着時刻前後に土砂降り。駅で10分くらい足止め。宿に入ってチェックインし、汗を流してからコンビニで食料を買い、深夜の食事。寝たときには1時になっていた。 1日朝の掛川の天気は曇り時々小雨。午前中は天気がもちそうだが、午後はわからない状態だった。 モンベルのコンパクト輪行バッグのための自転車のパッキング。サドルバッグには工具とチューブ2本、雨具(上下、帽子、シューカバー)指あり手袋が入っている。トップチューブバッグには錠2種と指だし手袋、ハンドルバーにはライトヘッドが2個、ダウンチューブにはバッテリーが2本付いている。ヘルメットはステーの間に入れてある。今回はゴムバンド付けフェンダーもある。車輪でフレームを挟んだら3本のバンドで締めて固定していく。ハンドルバーも90度捻って3本のうちの一本のバンドで固定する。これで自立する。日帰りの輪行と違って非常に重い 準備完了。東横イン掛川駅新幹線南口より8時半出走。 静岡県道40号を辿っているつもりで、国道1号バイパスとの出合いで直進してしまい。桜木というところから小高い丘を越えて県40号に復帰。右に丘、左に田園という風景の中北に進むと、数年前にはなかった新東名が見えてきた。ここは森町IC信号。以前より交通量は増えているようだ。 この日は結構な強風。ただし、ここでは東からの追い風でした。 遠江一宮付近の丘。この後、天竜川に出合い、北上する。![]() 国道152号に天竜二俣で出合う。二俣川沿いに入ると、対岸に天竜山の市というJAの直売所がある。もっと先に行けば鄢徹のスーパーもあるしコンビニもあるのだが、こういうところにこそ寄っておきたい。農産物は無理だから加工品を物色、蒸し饅頭とパンと静岡茶を購入。![]() パンの中には抹茶餡。桜の花の塩漬けがちょっと乗った蒸し饅頭はなかなか美味かった。残り一つになっていたのを買った。人気があるのだろう。![]() 山の市を出てすぐ、前方の川沿いの切り立った崖の上に祠らしきものが見えた。崖下には鳥居。これは登るしかない。ということで寄り道。 一番高いところからの眺め。 船明ダムに沿って平坦の道を進む。秋葉トンネルを抜けると秋葉ダムが見える。その下に赤い吊り橋が見える。東海自然歩道はここを通る。この日は放水がなかったが、放水中にダムの正面に立つと迫力がある。夏は涼しい。人が歩いているのをまだ見たことがない。![]() 秋葉ダムに溜まった浮遊物の回収装置で流木などを除去していた。ダム上の道路と国道152を結ぶトンネルはY字に分岐している。 秋葉ダム湖。 先の赤い吊り橋に比べたら、この橋は少し揺れる。床は木材。 龍山町 瀬尻の段々茶園。笛の音が聞こえてきて作業中なのだと分かって立ち寄ることに。沢沿いに登るとウインチ小屋と上層の人々の間で物のやり取りがケーブルでなされていた。 この日はTVの取材が来ていたようだ。ちょうどお昼時で弁当の引き上げていたらしい。 大井橋を渡ったところ。はじめて秋葉街道を北上しようとした時、大井橋から相月までは通行止めになっていた。なので図らずも秋葉街道(塩の道)を行くことになった。西渡から明光寺峠を越えた。峠への登り口に自転車を置いて撮影。 天竜川からは分かれ、水窪川に沿って進む。大井橋から相月までは初めて走る。やはりここからは交通量は少ない。 現在では使われていない河床・河岸の構造物。こういう遺物は過去の暮らしを想像できて興味深い。やはり船着場か。 橋までは階段を下りていく。 鮎釣橋と橋より上手。河岸の家屋は手作り感が異常に良い。 路線バスに遇うなんて珍しい。 水窪では数年前通った川に近い現国道ではなく、商店街(秋葉街道/塩の道)を通過。鉤型に道が折れる場所で塩の道は階段で上の段に行ってしまう。 「国盗り」という和風の店で鹿肉定食を食べた。まだ猟期ではないのか、鹿以外に野鳥や獣などはなかったようだ。店の外にはためくジビエ料理の幟。ジビエって狩猟の獲物という意味のフランス語なんだなぁ。私の日常語彙にはなかった言葉だ。でもフランス料理ではなかった。英語では野鳥や獣肉をゲームというのだが、ゲーム料理だとピンと来ないものなぁ。しし肉という日本語もあるのだが、これもイノシシだけと思われそうだしちょうど良い言葉がないようだ。 丘を上がって水窪の街から離れる。街を見下ろせる場所でクワガタの彫刻を見かけた。TS.DRYは天然木を自然乾燥させてから住宅用に製材している会社らしい。 射撃場(クレー)のそばを通り、その音が聞こえなくなってきた辺りで対岸に集落が見えた。西浦(にしうれ)辺り。 これも西浦辺り。![]() 草木トンネルに向かう架橋と国道未通の青崩峠への細道の分岐点手前に河原に下りられる場所があり、そこで冷却休憩。靴と靴下を脱いで雪融けの冷たい水で熱を持った筋肉を冷やす。前に来た時も似たような場所で河原に下りたと思ったがこんな堰があったかなぁ。![]() 草木トンネルと、その手前で下を潜り抜けて青崩峠へ向かう秋葉街道(塩の道)前回は草木トンネル前後は自動車専用道路だったため、塩の道を辿った。青崩峠は山道なので自転車は担いで越えた。 草木トンネル前後では道は広いがその先は林道であり道幅も狭い。皆伐地が見られた。 三又の群落があり一斉に咲いていた。昔植えられたものがずっと残っているのだろうなと感じた。 針葉樹の森を抜けると明るい広葉樹の谷を抜ける。![]() このような景色を見ながら水窪で買ったとち餅大福を食べた。 兵越峠。桜が満開で花蜂がたくさん集まっていた。国境の札もあり。休憩する余地が広く、遊歩道もあった。 兵越峠からの下りはビデオ撮影のため停まらないつもりであったが、花が奇麗だったので中腹で停止。 山では梅と桜が同時に楽しめる。 林道から国道152号に出合う。そこから道の駅遠山郷がある和田まで交互通行区間が数カ所あった。どれくらいの長さの区間なのかも分からないし待ち時間タイマー付きの仮設信号は自転車も通るということを考慮して時間設定されていないので、上り坂だと少し頑張って速度を出さないといけないかなぁと思ってしまう。 上村小学校そば。小学校の水場で水を分けてもらおうと思ったが、見つけた蛇口からは水が出なかった。下栗へ登り始めて程なく「命水」がある。そこで水を満たせたので良かった。 高原ロッジ下栗は上村から8キロ。最初の3キロは特にきつい。2キロほどのところで熱冷ましのために停まっていたら、たまたま宿の主人の軽トラックに追いつかれ、声をかけられた。「乗っていく?」の応えはもちろん「大丈夫。」そこから40分後の6時半には到着する見込みを伝えた。気温が20度あり暑さでも参る。道端に簡易水道が引いてあり頭に浴びせたりしながら登坂。 国道から数キロ登ってくると急勾配が緩やかになり民家や畑が見られる。伝統的な木造住宅。 下栗の里に掛かるとすぐに絶景が望める。桜、梅、芝桜、水仙、菜花など花に満ちあふれてきれいでした。 急勾配の畑。段々畑ではなく耕作地が傾いているのである。夏になると全ての畑が緑になる。 高原ロッジ下栗は奥、手前は はんば亭。 ここは下栗本村を見下ろす一番の高台に位置する。上村小学校下栗分校の跡地で小さな運動場が残っている。校庭の桜が今も見事に咲いている。宿泊日はちょうど満開、散り始めているところでした。![]() 施設内。トイレと洗面所は共同、お風呂は大風呂がある。この日は私の他は3人しか泊まらなかったこともあり非常に静かだった。前に泊まった時はもう少し人がいたように思うが、そのときは![]() 山菜の天ぷら、豆腐、山女、ポテトサラダ、コゴミなど和え物三種、こんにゃく、ジャガイモの田楽(荏胡麻・オニグルミ・味噌のたれ)、竹の子・人参・干し大根・シイタケ・芋の煮物、菜花の漬け物。菜っ葉と豆腐の味噌汁も美味かった。 ビールを頼んだら、ご好意で下さったボタン肉と野菜の煮込み(すき焼きのような味付け)走行距離124km、小雨に降られたが10時間かけて楽しんできた。 残念ながら全天曇りで星は見えなかったが、晴れていればかなり良く見えるのではないかと思う。 2012.5.6記
鳴くバンドブレーキからサーボブレーキへと交換しました。ついでにタイヤとリムフラップも交換。塗装とプラスチックの劣化が目立つ。見た目の古めかしさとは別にきちんと整備されている我が家のママチャリである。
この作業のためにサーボブレーキとドラム抜きを購入してあった。先の投稿を参照。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 緑の丸のそばのネジでブレーキレバーを操作していない時にシューがドラムに触れないように調整する。 前輪も外してリムフラップを交換。こちらはさほどダメージは目立たなかったが、変質が始まっていたようで、粘性をもち始めていた。やはり交換してよかった。 ![]() ![]() HOZAN ドラム抜き(C-349)自転車技士工具3300円×1個 送料込でも3860円。滅多に使わないだろうから後輪だけ自転車店に持ち込んで、バンドブレーキやサーボブレーキのドラムの取り外し・取り付けだけやってもらっても良かったのだが、自分の家や近縁の親類宅にこの工具を必要とするたくさんの自転車があるから、3800円は自転車店に全部任せた場合の工賃を大体2000円としたら2回使うと元を取れる。ブレーキを交換したい自転車が今のところ3台あるから、今年のうちに達成だ。 ![]() キーという迷惑な鳴きがひどいバンドブレーキからサーボブレーキに交換する。左が外側、右は内側(ブレーキドラムが見えます)![]() ブレーキのシューとレバーの側とドラム(左写真)ドラムの内側を摩擦するブレーキシュー(右写真) 今回購入したドラム抜きで脱着する方のパーツ。車輪のハブにねじ込んであり簡単には外れないと言われている。ドラム抜きのピンを挿し込む穴は雨水や砂塵の侵入を防ぐためゴムの栓で塞いである。
◆ガレキの処理状況 兵庫県 ―処理件数108,126棟、処理量1,430万トン。神戸市分―65,978棟、804万トン。<地方都市等における地震防災のあり方に関する専門調査会 「阪神淡路大震災における神戸市の対応状況」(平成22年8月27日 神戸市)
今の広域処理の案は大雑把過ぎる。一緒くたに瓦礫の受け入れと言っているが、受け入れてしまうと燃える物は焼却炉で灰にしその残さをどこかに埋めなければならないが、微量の放射性物質が含まれる大量のゴミを焼却すると灰になった時に濃縮した状態になる。関東ではただでさえ汚水処理場の汚泥に放射能が含まれており、その汚泥の焼却やレンガなどへの再利用ができず、保管している状況のはずだ。灰が高濃度放射能廃棄物となってしまった場合、何処に処分するのか?後のことを良く考えて決断を下さないといけない。 政府が言う安全だとされる瓦礫が、可燃物の場合実際に被災地近隣の焼却場で処分されているのだから、灰を調べれば良い。それをせずに受け入れをお願いするのは良くない。福島の放射性物質に汚染された樹木を燃した薪ストーブの灰の放射線量がかなりの高さだったということからも、ストーブと比較にならないほどの量を処理する焼却炉ではどんなことが起こるかわからない。広域処理の受け入れの可否は科学的根拠がないと許可してはいけない。 それに、一番早く瓦礫処理が済むのは広域処理ではない。溜めている仮置き場のそばに焼却処分場を多数造り、焼却処分しても灰が放射性物質を濃縮した物にならないレベルの可燃ゴミをガンガン燃し、コンクリート等の不燃物は沈下した港湾部の造成や堤防の再建の際の資材として使うことだ。これまでの大規模災害の際も皆そうしてきた一般的な方法だ。今回遅々として瓦礫処分が進んでいないのはゴミが多過ぎるからではないと思う。処分施設の再建に取り組んでいないからだ。神戸市では被災3ヶ月後から計15基の焼却炉を建設している。瓦礫処理という仕事があり、それをすることで街の再建につながり労働者に収入があるのならば、東北に財政支援をし処分施設を作らねばならないだろう。 今、東日本大震災のことだけで頭が一杯一杯かもしれないが、東海〜南海のプレート型大震災が数十年も前から懸念されており、その地域では大きな都市がたくさんあるので大震災の際にどのように瓦礫を処理するか対応を検討してきているはず。今回の福島の例を考慮し浜岡原発が燃えた場合のことを考えて、隣接自治体以外への広域処理の依頼ができないことも考えておかないといけない。原発を有する自治体とその隣接自治体はこのことを重く受け止めておかねばなるまい。 『風を読み、風を変える男 教えて!斎藤さん〜衆議院議員・気象予報士 斎藤やすのりBLOG』で氏は最も現実的な見解を述べていると思われるのでlinkしておきます。 http://saito-san.sblo.jp/article/54471531.html
☆10/10(月、祝)茶町 KINZABURO. (茶町通り) ジャズライブ(南ルミコ、清水ゆかり、石井康二)16:30open 17:00start. ¥2500(お茶とお菓子) 10/9、10日 Rikewさんの個展。
ライブではライブペインティングも実施。 このイベントに参加するために始発で行く静岡への輪行旅を敢行。四時五十分に乗るのに四時三八分に駅に着き、6分で改札通過。急いだわりにロードレーサーを解体ししっかり束ねられた。大船で東海道線に乗ったら熱海まで仮眠できる。五時十分発が十分遅れ。走行中に異音を聞いて点検したとか。 路面は濡れているので乾く前は自転車には乗りたくない。沼津より少し先までは輪行することに。 Suicaで乗ったから熱海では一度清算せねば。 熱海で下車し駅前のマクドナルドで何か食べられるかと思ったが、開店前だった。同じ建物の中のコンビニで静岡コーラを発見。コーラというよりもお茶サイダーと思った方が良い。October 10 at 6:55am![]() 東田子の浦で降り、堤防沿いの県道を走り、8時半ごろ新富士橋の歩道で富士川を越えました。October 10 at 9:49am 桜海老かき揚げ丼と桜海老若布の味噌汁。 — at 由比漁港 浜のかきあげや. 私が由比の町から興津方面に旧道で移動中に、同じく清水方面に向かう地元中学生の一団が面白がって着いてくるのを、絶妙な速度で引っ張って、海岸沿いの自転車道ではなくサッタ峠の激坂の登り口に誘い込み、そこで置いてけぼりを食らわして喜んだ件を聴いて、Rikewさんがすぐさま制作したのがこれ。 薩埵峠。今日はすれ違う車は1台。通しで登れました。富士山は霞んでいます。肉眼だと山肌の様子が分かるくらいなのですが。水分補給のため興津に下る。October 10 at 10:59am 興津川に架かる狭い橋。けっこう古そう。川では鮎釣りを楽しめる。 興津から清水に向かう途中、国道1号から離れ、大手町あたりを通過。この写真は小芝八幡宮の建物の一つ。どういう様式の建て方なのか。屋内から見るとどんなふうになっているのかなぁ。国道1号のサイクルショップくにもち前で小休止。予定よりずいぶん早い。October 10 at 12:53pm ![]() 茶町KINZABUROには早く着きすぎて、知り合いは個展をやっていたRikewさんしかおらず、茶っふるとお茶を頂きながら、しばし語らう。昼ご飯がまだだったので街の中を流すことにした。 西の方に走り、安倍川橋に至る。名物の餅を売る店が並んでいたが、橋を渡って対岸に進む。川には夏の台風による増水の跡が見られた。安倍川を遡って進んでみることにした。土手沿いの車道や土手上の道を辿ると、安倍川の支流の藁科川の右岸を辿ることになる。南藁科街道(県207号)を走っていると、富士宮焼きそばの幟が立っていたので入ってみることにした。 鉄板で焼く焼きそば・お好み焼きの店「匠」。 おでんもある。焼きそばが焼けるまでつまみながら、鉄板の周りの席で作業を見る。先客と話をしながらお好み焼きを焼き終えると、キャベツを刻みそばを焼き始めた。富士宮焼きそばの麺は太くて固く締まっているので熱湯を掛けて蒸し焼きにする。そのためのヤカンが鉄板に乗っている。![]() ![]() ![]() ライブを見るため静岡市内に戻るがまだ時間に余裕があったのでこんもりとした森を目指すと静岡浅間神社だった。荘厳な社殿。 静岡浅間神社境内の八千戈神社。漆黒に染まっている。肝心のジャズライブは大盛況。本来ライブに向いたスペースではないお店の二階は人がぎっしりで、とても写真が撮れるような雰囲気ではなかったので画像はなし。 ライブが終了し店の前で皆さんと分かれ、駅へ。静岡駅での輪行作業は面倒なので、清水に向かう。清水駅ぐらいの大きさの駅がいちばん自転車の袋詰め作業がやりやすい。 本日のお店 茶町KINZABURO 静岡県静岡市葵区土太夫町27 営業時間 : 平日9:30〜18:00 日曜・祝日10:00~17:00 電話 : 054-252-2098 毎週水曜日定休 http://kinzaburo.com/ 「匠」 富士宮出身の元気なお母さんが焼く焼きそば・お好み焼きの店。 静岡県静岡市葵区牧ヶ谷2322 静岡駅から車で約15分。静鉄バス牧ヶ谷線静岡西高校前下車徒歩1分。安倍川駅から3,430m。 11:00~15:00、17:00~20:00 定休月曜(祝日の場合は翌日) http://r.tabelog.com/shizuoka/A2201/A220101/22020553/
家で片付けをしていたら、10年ほど前に初めて泊まったころのものと思われる三保ユースホステルのパンフレットが出てきた。三保ユースホステルはもう閉館している。非常に広くてある程度の団体の受け入れも可能だった。そんな広い館内に数人しか泊まり客がいないこともあったし、リトルリーグサッカーのチームが停まっていたり、海外からの修学旅行らしき一団20人ぐらいが泊まって地元児童と交流していたり、少し利用率は低かったようだけど、場所は静かで良いし、周辺の環境もいい。できうればもう一度営業しないかなぁと思っているけれど無理なのかなぁ。もう解体してしまったのかなぁ。
![]() ![]() 今夜、偶々点けたテレビ (NHK G.)で特集されていたX-Alps、パラグライダー+ランニング+ウォーキングでヨーロッパアルプスをザルツブルクからモナコまで縦断するExtreme Sport。日本人レーサーの扇沢 郁、松原 正幸は残念ながら厳しいルールが適用されて失格になってしまったから残念だったけれど、これは自転車のRAAM (Race Across AMerica) を初めて知った時のような興奮を覚えた。DVD買ってみようかな。リージョン合うかなぁ。 気流や風が悪い時はパラグライダーを詰めたバッグを背負って歩くか走る。サポートカー付き(人員は1名)だが、移動は自力。いやはや超人だ。 距離は850km前後だそうだが、ただでさえ起伏の激しいコースなのに、飛ぶのには山に登るので獲得標高はものすごいことになっているのではないかな。 http://www.redbullxalps.com/
今年買った5kgのタイ米。今までは何とか水加減をして茹でこぼさずに炊いていた。今回は粒が細くて鍋の中の対流が起きないからか途中しゃもじで何度か掻き混ぜながら炊いても炊き上がりのムラが大きかった。
今日はGuruのチャンネルに記されていたタイ人の調理方法を参考に炊いてみました。2003年9月の記事ですが、良い記事なのに今まで検索に何で掛からなかったのだろう。 パスタかなにかを茹でる時のように大きな鍋で湯を大量に沸かす。そして米を投入。今回は笊に入れて水を通して洗浄し水切りした米を投入。浸水はしてない。ヘラでかき回さないと米粒同士あるいは米と鍋底がくっ付くので気を付ける。 時々米の茹で具合を確かめるため数粒ずつ食べてみる。芯が消えたらすぐ湯切りする。両手にミトンを着けたりタオルを使ったりして鍋蓋を鍋に押し付けたまま、鍋を傾けて湯をこぼす。即席ヤキソバの湯切りのように余分な水気はできるだけこぼして抜く。鍋からの滴が稀(まれ)になってきたら鍋を水平に戻して揺すり、中の米の偏りを直す。湯を抜いている最中に鍋の温度が少し下がっているから、再加熱して高温で蒸らすことができるようにする。鍋底から聞こえてくるプチプチパチパチいう音を聞きながら火を止める時を選ぶ。私は蓋をしたまま再加熱したが水分の残り具合に寄っては蓋を開けて蒸気を逃すようにした方がいいかも。焦がさない方がいい。焦がさなくても米独自の香りが元々ある。 蓋を閉じた状態で火を止め、しばらく放置する。炊き具合にムラがなく非常に上手く炊けた。これからは茹でて食べる! 6月に種から育て始め、ネットを張って壁面の緑のカーテンになり、先の台風にも千切れずに頑張っていますが、残念ながら食べられそうな大きさの実は付かないが、熟した状態は本当に鮮やかだ。※台風に何とか耐えたと思っていましたが、台風の際の潮風当たったからか葉が萎れ始めました。涼しい日が続くし、今年はもう終わりかなぁ。
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