土曜日、地元のお寺で境内の植物の手入れに参加し、剪定や木に登っての整枝を午後2時までやり、帰宅後に旅支度し即出発。15時過ぎにバスに乗り、駅の自動発券機に走り、素早く切符を買って15時27分に列車に乗った。新幹線の乗り継ぎももたつきなくすみ、プラットフォームの駅弁店を覗くと会計が空いていたので、焼売弁当を即購入。飲み物は自焙煎コーヒーを抽出したものをサーモスに入れてあったので買わなかった。
のぞみ235号 新大阪行に乗り込んだのは16時。景色も見られるし、まだ周りでも弁当を食べている人がいないので、コーヒーを飲みながら、どの辺りを走っているのか気にしつつスマートフォンでブラウジング。夕日を追いかけながら飛ぶように走るのぞみも静岡県を抜ける前に夕日に置いていかれた。周りでも弁当を食べる人がちらりほらり出始めたので、夕食にした。相変わらずうまいが、焼売の匂いは若干和らいでいるようだ。焼売だけの箱のものを買ってそれをつまみにビールを飲むと大変に周囲が気になるのだが、焼売弁当は落ち着いて食べることができるようになった。
新大阪には18:13に遅れなく着いたのだが、新大阪はそれまでに一度しか駅外に出たことがなく、随分と迷った。2階はタクシーの乗り場になっていて、一般車のお迎えやバスに用がある人は一階に降りなければならない。また、新幹線と在来線が交差するのでややこしい。地上の在来線の東側に降りれば、宿としていた新大阪ユースホステルまですぐだったのだが、GoogleMapの反応が屋内では機敏ではないので、中央口の一階で外に出てしまった。そうすると跨線陸橋を渡ることになり、結構移動に時間がかかってしまった。
心斎橋と難波の中間くらいにあるお店でライブが始まるのが19時。チェックイン時間帯が早めなので、直接お店にはいけなかった。ユースホステルを18時半に出られれば十分間に合うと思われたが、チェックインして部屋に入った後、帰って来てからゴソゴソせずにすぐ寝るために、シーツや枕カバーをきちんと仕込んでから出かけることにした。御堂筋線の乗り場は駅の東側のYHからだと駅の建物の一番遠いところにあるし、地下鉄といえども淀川の南側にわたるまでは地下を走らない。新大阪駅での移動でも多少時間を失った。
お店に着いたのは19:20。エレベーターが全部上に行ってしまっていて、4Fの店までは階段を上がった方が早いのではないかと階段を上がったら、4Fの扉は鍵が閉まっていた。2Fまで下がり、エレベーターで4Fへ。ちょうど曲の間に席に着けた。ドタバタとした移動で体が火照っていたのでビールで喉を潤しながら1stステージの終わりの2曲を聴けた。南ルミコ (vo) 岩田晶 (b) 上川保(gtr)のトリオはBar Aritaでなんども聴いている。
ステージ間に赤ワインに移行。鴨燻製の柚子醤油かけを頼んだが、これがワインによくあった。
2ndステージの春野恵子と一風亭初月(三味線)、何と浪曲を聴いている。あまりの迫力に手元のほぼ空のワイングラスをひっくり返してしまった。しかしバーテンダー以外誰も気にしない。みんな語りの世界に入っている。歌舞伎を一人で弁じているような感じだなぁ。浪曲を聞いたのはこれが3回目。全部、春野恵子。
3rdステージの始まり。秋本節さん、いい歌だ。南ルミコがよく歌う「アフリカの月」の西岡恭蔵と行動を共にしていた人だ。
ミュージシャンの方の他に顔見知りの方もなく、誰かと話すことはなかったが、楽しい時間はすぐに過ぎる。
23時には御堂筋線に乗ったが、乗った列車が新大阪の手前が終点。後から来る列車をしばらく待って新大阪に着くと、どこかで丼物や蕎麦でも食べようかという時間の余裕もなく、コンビニにも寄らずにYHに帰着。チェックインの時にはこの角度で見上げていなかったが、恐ろしげな建築だなぁ。オーバーハング部分の上の段には客室がなく洗濯室、更衣室、浴場があるが、その下の段は客室が3つある。他のほとんどの部屋は建物の本体に収まっている。
飛び込み台のようなものも見えるが、消防隊の突入口でもあるんだろうか。
部屋に戻るともう消灯時刻を過ぎているため、電灯は点けずにベッドに入り込む。1段目で良かった。みかんを2個持って来てあったので一つ口にして、耳栓をして就眠。
おまけ。三文字の駅名は中の字を小さくするのが大阪市交通局のスタイルらしい。「新大阪」は「大」が小さかった。自動改札だから3文字とも同じ大きさで縮小しても良さそうなものだけれども。